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2014-11-29

というわけで、方針を転換。

というわけで、方針を転換。
攻囲を続ける将のなかから、弁舌に長けてそうな者――蒲生、細川、堀らを次々に降伏勧告へ向かわせる。

と……。


家康、ついに降伏す!

我らが忠告を、受け入れてくれたのである……!

や、やった!


いまだ三河から信濃、甲斐、駿河へと勢力を保っていた徳川家は、まるごと秀吉様の傘下に加わったのだ。

家康殿と三河衆がいてくだされば、もはや野戦では敵なしでござる!


こうして、官兵衛の第七軍団の活躍により、対徳川戦役は幕を閉じたのであった。
手強い敵だった……!
だが、明日からは、同僚なのだ!


そして。

官兵衛の第七軍団に、秀吉様から新たなる指令が下された。

「真田家の討伐を命ずる」

……!
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2014-11-28

これまで家康には、黒田三姉妹を何度も遣わし、

これまで家康には、黒田三姉妹を何度も遣わし、羽柴に従うよう説いてきた。

会うには会ってくれるし、快く話もしてくれる。
が、いざ、降伏を促す段になると、家康は毅然と立ちあがり、
「たとえ命尽きようと羽柴に膝は屈せぬ」
と言い放つのだ。
あっぱれである。

家康を死なせたくはない……。
いかがしたものかなあ。


などなど考えていたところ、攻囲陣の一角を担う織田三十郎信包が、官兵衛のもとへ注進にやってきた。

「見たところ、二俣城にはもはや戦う力は残っておりませぬ。今なら降伏に応じるやも……」

…………!
2014-11-27

南信濃国衆を降した大軍は、そのまま南下させ、東海道入り。

年が明け、また、春。

南信濃国衆を降した大軍は、そのまま南下させ、東海道入り。
二俣城包囲軍に合流させる。
つまり、これをもって、東海道・中山道の二方面軍が一つに合流したということだ。
第七軍団創設以来、空前の大軍をもって、徳川家康の本拠を囲い続けるということになった。

この攻城戦が始まってから、もう一年近くになるだろうか……。
三の丸はすでにボロボロ。
二の丸も荒廃が進んでいる。

そして兵糧もほぼ尽きた、という状態だ。
2014-11-21

高遠の諏訪頼忠も、再三のささやきに屈し

冬。

高遠の諏訪頼忠も、再三のささやきに屈し、ついに徳川からの離反を内諾。

さらに、南信濃国衆――何度も徳川に合力してちょっかいを出してきた――も、大軍を動員し、その本拠を制圧する。

徳川もようやく先が見えてきた。


秀吉様からの使者が来て、本城に呼ばれる。
行ってみると、弟君、秀長様とともに酒宴。
かつて共に戦場を駈けまわった者たち同士、酒を酌み交わし、しばし往事を懐かしむ――。
2014-11-19

ここでいったん、官兵衛、直属軍を解散し、長浜に戻る。

秋。

ここでいったん、官兵衛、直属軍を解散し、長浜に戻る。

理由としては、連戦でかなり疲弊しているので、立てなおしが必要というのが一つ。
そして、あまり長く城を離れているので、城主としての務めが滞ってしまっているというのが一つ。

さらにもう一つ。黒田お得意の調略集団がほとんどみな戦場に出てしまっているため、あまりその方面で威力を発揮できないのだ……。

徳川との戦もある意味、一段落している。
官兵衛は後方から、各軍を督戦することとしよう。

合わせて、他にも疲弊しているいくつかの軍も入れ替えつつ、各地の城の包囲は継続させる。

大軍を動員しているので、兵糧の減りが早い。
これが尽きる前に、何とか、勝負を決してしまいたいが……。
2014-11-18

黒田から何度か二俣城に使者を送ってはいたのである。

じつは、先だって、黒田から何度か二俣城に使者を送ってはいたのである。

「羽柴家に降伏してみないか」と持ちかけてみたのだ。

が、さすがは徳川家康公、「孝高(官兵衛)の使者か……」とこちらを見つめ、「たとえ滅んでも羽柴には膝を屈さぬ」ときたものだ。

うぬぬ……。
滅ぼすのは惜しいなあ……。
2014-11-18

夏。 蜂須賀小六殿、逝く。

夏。
蜂須賀小六殿、逝く。
秀吉様の天下を見ずに逝くとは……。起きろ! 起きろ、小六ーーーーッ!


中山道の戦線では、目の上のたんこぶだった苗木城、落ちる。

ここの城主、小笠原某は、こちらの調略を頑として受けつけなかった剛の者。
かなりの兵力を有しており、過去、野戦にて何度も何度も立ちはだかってきたものだった。

今回、大軍をもって、この城を囲むこと半年以上。
ついに兵糧も尽きたところを、一気に攻めた。


攻め手は、官兵衛を大将に、細川幽斎、堀秀政らの戦上手が僚将として軍を率いている。
城兵は次々と逃亡。
小笠原も、やむなく降伏を申し出てきた。


いよいよ徳川も手足をもがれた形である。
2014-11-16

東海道を任せている蒲生氏郷らの諸隊は優秀だ。

鳥羽の九鬼水軍が、明国との貿易から戻ったとの報。
黒田が委託していた貿易もきちんとやってくれたようで、洋式銃を持ち帰ってくれた。


それにしても、東海道を任せている蒲生氏郷らの諸隊は優秀だ。
城を救いに出張ってくる家康本隊を、何度も野戦で退けている模様。
家康が焦って、万全ではない軍を繰り出してくるとはいえ、さすがは蒲生。恐ろしい男よ。やつが味方でよかったぜ。


そして、黒田官兵衛、ついにこの蒲生氏郷らに命じ、徳川家康の居城・二俣城を囲ませるのである……。

1589年、春の終わりのことであった。
2014-11-14

中山道方面では、ついに木曽義昌が降伏す。

秋。

龍造寺との戦いで、羽柴家に属していた藤堂高虎が切られた、との報が届く。
あの世渡り上手の高虎が……。


中山道方面では、ついに木曽義昌が降伏す。

徳川家臣のなかでは当初、かなり忠誠も高く、切り崩しは難しいかと思っていたが、目先を変え、この義昌に調略の焦点を絞っていたのだ。
結局、調略で落ちることはなかったものの、城を囲んだらすぐに降伏した。

東海道方面は、なんと、秀吉様の第1軍団からの応援が続々と届きはじめた。
雑賀衆や毛利との戦いを終え、手が空いたのだろう。

徳川との戦、こちらがかなり押しはじめる。
2014-11-13

散発的に繰り出されてくる徳川の諸隊を、次々に撃破。

88年、夏。

散発的に繰り出されてくる徳川の諸隊を、次々に撃破。
中山道は松本城、東海道は吉田城を攻略する。

我が軍団は、それぞれの城から、兵力の立てなおしが済み次第、次々と出陣。
各方面で増強を図る。


秋――を前にして、道薫、没す。

いたのか……。

一度も挨拶をしないまま、お別れとなってしまった。
2014-11-12

態勢を整えた、我が第七軍団。

さて、態勢を整えた、我が第七軍団。

まずは東海道に軍を集結させ、三河の攻略を進める。

また、中山道からは、官兵衛の直属軍に加え、さらにいくつかの軍を合流させ、徳川の部隊を押しかえすように進軍する。

美濃の諸城が徳川軍に狙われていたが、忍者なども駆使し、なんとかこれを追いかえすことに成功。
そのままの勢いで、今度はこちらから信濃へと攻めこんだ。


いくつかの徳川軍がやってきて、何度か野戦になるが、勝利。

この最中、たまたま配下として合流していた、例の平塚為宏――最初に城攻めで倒したあいつである――が、「戦場に出て戦わねば意味がない」とか何とか言いながら、下知を待たず、勝手に出陣してゆくというアクシデントが起きる。

案の定、敵の猛反撃に遭い、あわや全滅という事態に陥った。

なんとか後藤又兵衛が救ったからよいものの、そこから左翼を切り崩されるところだった。こんにゃろう。
2014-11-11

毛利輝元は処断。

毛利輝元は処断。

中国地方全域は、一気に羽柴家のものに……!


うーむ。
こ、こんな急展開でいいのだろうか?
どこかで反動が起きないだろうな。

と、とりあえずこれで西の脅威は消えた……のだろうか?
羽柴包囲網も、毛利が消えて、これで瓦解した。

……と思ったのもつかの間、今度は九州の龍造寺隆信が、新たな羽柴包囲網を敷きやがったw

天下惣無事を掲げる羽柴には、従わぬ者が多いのである。
というか、誰も従わないw
唯一の味方は、不戦同盟を結んでいる上杉景勝くらいか。
2014-11-10

家康軍は、今度は美濃方面へと転進してゆく。

さてさて、家康軍は、今度は美濃方面へと転進してゆく。

稲葉一鉄の鳥峰城は、じつはちゃっかり、また羽柴家へ寝返っている(笑)。
徳川は、ここをまた攻めようというらしい。
うむむ、やっかいだなぁ。
正直、家康本隊とはできるだけぶつかりあいたくない。
羽柴の一部将でしかない官兵衛にとって、大大名・家康との戦いは、やはり荷が重いのだ。

……まあゲーム的に言うと、率いることのできる最大兵数がぜんぜん違うのである。

軍団長ではあるが、まだあまり身分の高くない官兵衛は、多くの直属軍を率いることを許されていない。

早く出世し、身分を上げて、より多くの兵を率いられるようにするか……。
あるいは、秀吉様直々の御出陣を乞うか、だ。


そんなことを考えている、87年、冬入り前。

大事件が起きた。

な、なんと、秀吉様の軍が、毛利を一気に滅ぼしてしまったのだ!
2014-11-07

岡崎城を救援にやってきた家康軍と、その岡崎城を落としたばかりの官兵衛軍。

さて、岡崎城を救援にやってきた家康軍と、その岡崎城を落としたばかりの官兵衛軍。
にらみあいの状態となった。

正直、もう、家康と戦う力は残っていないのだが……。


と、家康は、やにわに軍を返していった。

ほっ。
よかった。

あのまま城の奪還に来られていたら、危ないところだった。
はったりを交えた駆け引きに、とりあえず、官兵衛は勝ったというところだろうか。

家康軍が見えなくなるや、こちらはすぐ、軍を解散。
諸将には、それぞれの居城に戻ってもらった。
2014-11-06

包囲中の岡崎城救援に、ついに徳川家康の本隊が動きはじめた。

包囲中の岡崎城救援に、ついに徳川家康の本隊が動きはじめた。

や、やべえ。もう目と鼻の先まで迫ってる。

家康はおそらく騎馬で来るだろうが、こちらはもう長槍隊が少ない。
しかも、前回と違い、おそらく向こうの士気も旺盛だろう。

これとぶつかっては勝てそうにない。


ならば、ともかく、目の前の城を落としてしまおう。

長期の包囲で弱体化した岡崎城を、一気に力攻め。
三の丸を踏み越え、二の丸を落とし、本丸まで迫ったところで、城主・石川数正は降伏を申し出てきた。


史実通り、石川数正は、羽柴家に降ったのである。

2014-11-06

信濃方面の調略がまったく上手くいかない。

信濃方面の調略がまったく上手くいかない。

調略の軸・官兵衛自身が出陣中のため、留守組の和、杏、小西行長、京極高次、川崎なんとからにいろいろやらせているんだけど、どの相手も、後一歩のところでなびかない。

では、とばかり、周囲の国人衆を取り込もうかと思えば、これまた頑固に従属を拒否しやがる……。


東海道は武力で攻め、中山道は守りを固めつつ調略で切り崩す、という戦略で行こうと思ったのだが。

ちょっと目先を変えてみる必要があるかなあ。
2014-11-06

こんな感じで、官兵衛軍はまた城の包囲に戻った。

ま、こんな感じで、官兵衛軍はまた城の包囲に戻った。

野戦の連続で、そこそこ疲弊してきた。
一度、態勢を立てなおすかどうか……。


と……。

黒田職隆「わしはどうやらここまでのようじゃ……」

ち、父上ーーー!


なんと、持ち直したと思った父上が、寿命に倒れる。

黒田家は、貴重な戦力を失った。
青空に浮かんだ柴田恭兵の顔に、さわやかな笑顔を向ける官兵衛。あとは任せてくだされ、父上。

……にしても、出陣中に途中退場されると、部隊が減ってダメージでかいのです、父上。
2014-11-05

岡崎を囲む官兵衛軍に対しては、敵の援軍が逐次、やってくる。

岡崎を囲む官兵衛軍に対しては、敵の援軍が逐次、やってくる。

が、足並みを揃えず、それぞれに来襲したため、各個撃破。

敵・南信濃衆は騎馬が中心だったため、長槍隊の少ない我が方はなかなか苦戦した。
が、吉田城から出てきた石川数正軍は足軽中心の編成だったため、こちらの鉄砲で撃ちすくめて大勝。
敵将2名を生け捕りにする大戦果をあげる。

この2名に、配下に加わらぬかと誘いをかけたが、頑として応じないため、やむなく解放する。

まだ若い2名だ。斬首は気が引けるのでな。

また向かってこい。
できれば、ずっと後に(笑)。

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